身近なお話

私の感想文
それは、過去だったり、現在だったり、少しだけ先に見えるものだったり

ばあちゃんの話

彼女は40代後半で「ばあちゃん」と呼ばれるようになった
思えば少しばかり気の毒だったかしらね


ばあちゃん、この呼び名も、気の毒に拍車をかけているのかも
今風なら「ばあばあ」?それとも「グランバア」
呼び方で、どうかなる者でもないだろうが、それでも
「ばあちゃん」はいかにも「老婆」に匹敵する代名詞でしょうね


彼女の故郷では老婆の代名詞は「ばっちゃん」或いは「おばば」だった記憶がある
「おばば」がさ~と彼女の親族が集まると、盛んに耳にした代名詞が
幾つになっても、私には好ましく思えない響きで耳に残った
その彼女は、故郷の訛りがどうしても取れなくて
ふとした時に、訛りが顔を覗かせる、訛りに対して神経ピリピリさせているのに
させれば、させる程、語尾が訛ってしまう
その訛りに、笑いを見せたりすると、ひどく不機嫌になった
何故だろう・産まれた故郷をなぜ隠そうとするのだろう
最後まで、その事に気付かずにいた私でした


その最後の、最後の訛りが「おばば」発言だったって事も笑えました
そういえば、どの年齢に達すれば「おばば」に匹敵するのやら
今時「おばば」なって似合いそうにない女性が増えてますよ
勿論、私も、充分に匹敵しているが、決してそう呼ばれたいとは思っていない


さて、ばあちゃんの話に戻してみると
実際に「おばば」らしくなったのは、ひ孫をみた頃だった
40代後半で孫と対面した頃は、可愛くないとは言わなかったかが
孫と接していたとは、見た目、決して「おばば」には見えなかった
むしろ、孫の成長と同時に、人間ぐさみが増したとでも言えそうだった
同等に嫉妬もしたし、ある意味若返っていった風にも見えた


孫を見て10年後、50代後半で後家さんになったばあちゃんは
老い方を忘れたように、日々充実した時を送り始める
こうなると、孫どころではなくなっていく
健康そのもの、何がそうさせているのかは、はた目にも明らかだったから


戦後、彼女は
夫と呼ぶにはいささか年齢差があった、亡くなったじいちゃんと一緒になった
その生涯、30数年、決して思うような人生では無かったらしい
しかし、年齢差は埋めることなく、結果、人生の後半を後家で過ごすのだから
決して、捨てたものでもなかったでしょう?といつか尋ねたかったが
それは、彼女の生涯で、最後まで、答えてはくれなかった


女らしくない癖に、人一倍女ぽい人間でね
主婦業が最も苦手だが、その主婦から一歩もはみ出せずに過ごしました
お洒落なくせに、人並な流行には背を向けていました
「世の中に戸を立ててどうするのよ?」
私は成長と共に、母(後のばあちゃん)に常に心の中で問い続けていました
夢と憧れを決して捨てなかったばあちゃんの趣味は
映画と舞台鑑賞、後はテレビで補足していたようだが
塚(宝塚)ファンンだったし、洋画ファンを自負していたし
読書家だし、物書きだし、現実と、夢の境目を生き抜いた人だったかも


そんな彼女が老いた姿をみせたのが
「認知症」というお決まりの老化現象だった
90年の生涯を一番人間らしい姿で過ごしたのが、10年間
皮肉な事に、それは、次第に彼女の記憶を消しゴムで消し去り
新たな記憶は生まれては、消えた10年間
ひ孫は、そのばあちゃんを〇〇ばあばと呼んでくれました
初めてばあちゃんの、ばあちゃんらしい笑顔を見た時期でした




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