身近なお話

私の感想文
それは、過去だったり、現在だったり、少しだけ先に見えるものだったり

我が家にも居たのです、ワンコウが

親父が亡くなって、母の話し相手にとの名目で、飼った(買った)犬です
しかし、今にして思えば
その頃の母の年齢(57歳)に話し相手が、果たして必要だったかは不明です
子供たちが幼かったのと、ペットブームにあやかった我が家
興味本位と、何だったんだろう、思い出そうにも思い出せない
つまり、とってもいい加減な発想で、我が家へ飼われてきた犬こそ
大迷惑だったのかもしれませんね



我が家は、二所帯住宅からスタートして、世に言うマスオさんファミリーでした
子供たちは、幼稚園と小学校にそれぞれが通い始めた頃
父親が急死、さ~母親は動転するだけ
こうなると、母親の面倒は当たり前のようにかって出た私と私たち家族は
心身共に整理が始まった矢先でした


従って、母への思いやりだったか、それとも・・
我々家族が母から距離を置きたかった手段だったか・・
即物的な判断が、ペットを飼おう・・買おう・・だったのかもしれない


その昔、私は犬が大好き少女だったが
捨て犬をひらっては、親に叱責をくらって、また捨てにいく
この繰り返しに、いつの間にか、犬は飼えない家なんだって事を学んだ


忘れかけていた遠い記憶が頭の中で持ち上がるが
捨て犬なんて見かけなくなった世の中で、犬を飼うことが
即時、犬を買う事だという現実を知る


友人に紹介された先は、デパートの屋上に店を構えたペットショップです
早速、私と子供達、3人で見物がてらに出かけたのです
ペットショップ自体、初めての経験です
現在のように、あらゆる種類を備えて、客のニーズに応える形の店
では、無かったように思います
動物園の延長線上に店がある、と言っても不思議ではない形でしたね
ショッピングを兼ねて、子供たちを遊ばせる屋上の一角にある店は
見るだけに留まっている子供たちと、たまの、たまたま、顧客になるかもの家族達
店主にとって
それは、どのような種類の商売だったのか?と疑問が出る程、暇そうだった


その日は見るだけにとどめ置くつもりだったが
一匹、生後3か月ぐらいかな、白いその犬は、我々に向かって
ガラスのケース越しに、ぴょんぴょん、まるでウサギのように跳ねて見せる
立ち去り際には「クー」と悲しい声を出した
目線を合わせるのがとっても辛くなる、別れ際の一日だった


縁とはそういった他愛のないことから始まるとは、よく言ったものです
家路につく頃には、私の脳裏に
「まずは値段の算段、その次は、何処へ置いてあげようか・・」と
既に、買い物を決めた一人の主婦が、ぶつくさ呟いていたのです(笑)


それからは、想定内、ペットショップで清算を済ませて我が家へやってきました
なんでも「血統証」だけはお墨付きのプードル犬
う!ま~・・血統証だか、なんだかは別として、とにかく家族になったのです


珍しもの好きな子供のその後は、証明出来ました
散歩、餌やり、たまに遊ぶ、1週間もすれば、脱落者が出る
「だって・・ばあちゃんのワンちゃんだからね」と尤もらしい理屈を捏ねる
当の母は、運動を兼ねての名目で、散歩だけはせっせとしてくれた
が、問題は、これから・・
彼女(母)は、犬や猫が、家の中で飼う、なんて・・
ペットは外で飼う、といった常識から抜け出せない年代の人です
渋々、家飼いを認めたものの、何故かリールを付けたまま、玄関わきで


それに意を唱えるなら、我々の部屋で、我々が面倒をみる・・
それは・・どうも??
人間様の問答を外に、ワン君はすくすく成長はしてくれました
まさしく、成長だけはつつがなく、ペットとしてではなく
ワンコウとして、気さくで、人懐っこくて、小型犬にしては長生きでした


そうそう、名前・・
「おい・・」では可哀そうだよな~・(笑)
せっかくの洋犬ですが、思わしいネーミングが浮かばない我が家です
その時、珍しく率先して発言した母は
「この子、ちょろちょろしてるんだよね」と言った後で
「チロ、でいいんじゃい」と断言したのです

全く・・最初も、最初なら、安直な飼い主たちが名付けた名前は
「チロ」でした・・
そのチロ、初めて我が家へ来て、亡くなる最後の半年間
これも、初めて我が家族に収まった猫、虎治郎の親を自然にかって出てくれました
そして、その虎治郎が、チロの16年の最後を看取ったのです
不思議な家族と、不思議なペットのお話のスタートです




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