身近なお話

私の感想文
それは、過去だったり、現在だったり、少しだけ先に見えるものだったり

4度目の命日

震災の年に生まれたのだから、逆算すれば18歳を迎えていたのかな
最初に患った病は
「尿路結石」
虚勢したと言えども、元は男子だから
原因はよくわからないが、可哀そうなくらいに便所を行ったり、来たり
様子がおかしいので、まずは獣医へ
すると「尿路結石、猫が一度はかかる病ですね」との診断
餌と抗生剤とで、その後は慢性化することなく完治


それから、虎治郎が病らしい病を患ったことは無かった
が、一度だけ、誰とやりやったのか、お腹の中心部に痛手を負った
そのことを知ったのは、傷口が破裂してからだから、1週間は過ぎていたらしい
怠慢な飼い主と言われても仕方がないm(__)m


慌てて獣医の元へ連れて行くと、かなり大仰な手術になった
一泊の入院で事なきを得たのだが、あの時の教訓は生かされずじまい
その後も、脱走壁は収まりを知らずに18年間、最後まで貫いた
最後は、この手作りの布団の上で、静かに息を引き取ったのです


思い返してみると、飼い主の怠慢だったのかもしれない
だが、しかし・・食欲が激変した事も、排尿、排便に異常をきたした事も
その他、辛そうな姿を見たことも・・無かったと思っている


あの時、そうあの時ですね、それは彼が亡くなる半月前でした
私が初めてだと思う、一泊ですが、家を留守にした日です
運悪く、その日は主人も外出の予定が入っていたのでしょう
帰宅したのが夜の7時過ぎ、真っ暗な我が家の玄関を開けると
「ニャーオー」と悲し気になく虎治郎が、入り口に正座して迎えてくれました
「ただいま~トラ」と声をかけた私まで
涙がこぼれそうになったのを、今でも覚えています
まるで、頭の先から、つま先まで、隙間風が吹き抜けた思いを味わったのです


それからだったかな、彼の姿が一回り近く痩せだしたのは
流石に「年だね・・トラ」と言いつつも
「老衰」の二文字が頭をよぎる、日を追って毛艶が失せていく
食欲はやや半減、お気に入り場所(炊飯器、或いは冷蔵庫)に飛び乗る元気が失せる
一度獣医に見せようか?
何気なくだが、獣医の元へ出かけると
「幾つに?18歳・・う~ん、頑張ってるね・・」と優しく診断
なるほど・・これが老衰って事だと、納得しつつ帰宅・・
その夜を境に、食事は初めて液状の物を与えることにした


廻りの元気な猫が横取りしないように、気を配りつつ
4日間だったかな・・初めての餌を美味そうに食べてくれたのは
それから、亡くなる2日前
朝から、一滴の水分も口にしなくなったのに、立ち上がって排尿場所へ
その姿を獣医に電話で相談した時です
「連れて来てもらっても、多分、点滴を施すだけです
それをすることで、先があるわけではないのです、あくまでも飼い主さんの」
その通りかも、飼い主である私の自己満足に過ぎないのかも
それを「延命」というなら、なんとも酷な選択でした
結局、移動する事の彼への負担と、延命への体への負担を考え
暫く様子を見てあげる事を選択したのです


が・・
11月を迎えて、2日目、流石に朝は冷え込みました
そろそろ、暖房器具をだして、大好きな炬燵を設えて
「そうだ・・トラ、炬燵に入ろうか」と横になったままのトラにエールを
しかし、生返事すら帰ってこなくなったトラをみていると、辛かったです
秋の陽が傾きだすと、身体が次第に冷たくなっていきます
「今夜がやまかな」と考えたくはないのだが、覚悟を強いられたのです


数時間、次第に冷えていく体をマッサージでなだめてやると
半身を大きく仰け反り、振り絞るように吠えたトラの姿は目に焼き付いています
思わず
「虎治郎、もう頑張らなくていいからね」と声にだしてやった瞬間
頭を私の手のひらに『コトリ』と落としたかと思うと静かに息を引き取りました


それは、最後の最後まで
ペットであっても、猫の威厳を見せてくれた最後でした
あれから、4年が過ぎ、今日、3歳下の為五郎を迎えに来てもらいました




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