身近なお話

私の感想文
それは、過去だったり、現在だったり、少しだけ先に見えるものだったり

猫と老婆

これは、もう随分古いお話です
我が家へ初めてやってきた猫が、階段を一歩、また一歩と昇り始めた
「随分と広い家だったんだ」猫からみれば、そんな感想が漏れたのかも
冒険心に火が付いたその猫は
昇りきった踊り場で、踊り場と言っても一つの部屋の広さがある
足の向くまま歩みを進めた先に、閉められた部屋から人の声がする
その声は、確かに人の声だが、聞き覚えが無い
ドアの隙間からそろりと中を覗いてみると、一人の老婆が居眠りをしている
居眠りをしている老婆が、なぜ?声を出しているのか不思議でたまらない
なんて、その先を思考するよりも、老婆に興味津々


この家の中で、まだこの老婆とは一度も会話らしい会話を交わしていない事に気づく
すると、どうしても部屋の中に入ってみたくなる衝動を抑えられなくなった
部屋のドアは板襖と呼ばれるスライド式のドアである
かなりの力を要しないと、簡単には開かない


暫くドア越しに老婆を眺めていたその猫は
見ているだけでは納得がいかなかったとみえ、ドアの隙間に右足先を宛がう
それからは、左右に何度も、何度も揺らしてみる
すると、ドアはどうにか数センチ動いたようだ


さてあと少し、最低限、我が頭が入らなければ、この部屋へは入りきれない
諦めることを忘れたように、せっせとドアと格闘する猫
その音に漸く気づいた老婆は
「だれ?そこで何をしているの・・」怒りをあらわにした怒声を張り上げた
怒声には流石に慌てた、慌てた・猫は一目散に逃げ場を探した
一方通行型の猫の知恵では、戻り先を見失ったようです
そうこうしているうちに、ドアが思い切り開かれた
中から姿を現した老婆は
「誰か・・?いる・・?猫が私の部屋に入ろうとする」と怒鳴ってやまない
「お願いだから・・猫を二階へ上げないで・」
老婆は、怖気づいて動けない猫をにらみつけ、再び
「だから言ったじゃない、私は猫が、大嫌いって」と吠える


どうやら、この家の中で、この老婆には嫌われてしまったらしいことを
初めて知った猫は、階段を一目散、とはいかない中で、とにかく降りた



どうにか階段を踏み外すことなく、下まで無事に降り立った猫は
「お~おっかない・・人です・・」とため息交じりに呟くと
「な~に、そのうち・・猫を好きになって見せるさ・・」と言ったかも(笑)
だが、しかし、そうはうまく事が運ばないのが、人間様の世の中です
彼が、どのようにしてみても、最後の最後まで、老婆が猫と対話した姿
残念ながら見ることはできなかった
それどころか、ありと、あらゆる時に、ぶつかって・・
その度に
「私は猫が、大嫌いって言ってるでしょう」と家族の中で一人息巻いてましたっけ


それでもね、お互いあの時は若かったんですよ
階段をすいすい昇れるようになった猫は
思い出した風に、二階の老婆の部屋に侵入する
その都度、追い払われて、逃げる
これを何度も繰り返しているうちに、老婆は遂に部屋にカギを設える始末
毎度、毎度、鍵をかけて出かける
それでも、何が気になるのか、何がいいのか・・
静かに老婆の部屋のドアを開け、部屋の窓越しに腰を掛け二階からの景色を眺める
そのスタンスに凝り固まった風な猫を、凝りずに追いやる老婆


ある日
「ね~・・頼むから騒動の元を起こさないでくれる?」と懇願した私に
「わかっちゃいるけど、あの部屋、眺めが最高なんだよね」と嘯いた猫
「じゃ、こうしよう・・老婆のいない時だけね」
なんて、猫に提案して、どうするよ・・の私だが
猫の言い分、充分すぎるくらいわかるから・・
どうしたもんじゃろう・


だが、猫も老婆も時は容赦なくやってくるのですよ
どちらが先に、どちらから諦めたのか、定かでもないが
猫が二階へ上れなくなって、老婆が家にいる時が少なくなってきて
次第に、騒動はなりをひそめ、静かな時を迎えるようになった我が家から


お先にな・・と猫があの世へ旅立った
そのことを老婆に話すと
まだらな頭の中で、しばし覚醒された風に
「そう・・あの子がね、寂しいね・・」としんみりとした口ぶりに
話した私は、目頭が熱くなっていた


最後まで、老婆は一度も猫を膝には乗せなかった
それでも、最後の最後まで、老婆のほほをひそかに舐めていた猫
老婆の認知が進みだした事を、誰よりも察知したのは
ひょっとしたら、猫だったのかもしれない



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